六、北向道祖神

昔々、倉賀野の城が出来たそれよりも、まだずっと昔のお話です。
 御城の辺りから西烏川にかけて、昼なお暗い程に樹木が茂っておりました。その山の中に、それはそれは恐ろしい怪獣が住んでおりました。
 よくあることですが、この怪物は村の作物を荒し、その上に、三年おきには娘を奉らないと荒れるのです。三年目の春の祭に近い日になると娘のいるお家では、白羽の矢が立ちはしないかと、そればかりが心配で、いたたまらない程でありました。
 ところがとうとうその年は白羽の矢が、お庄屋さんの家に立ったのでした。
お庄屋さんの驚きと悲しみは大変なものでした。しかし、どうする事もできません。ただ恐る恐るその日を待つばかりでした。
 すると、ある日、見掛けた事もない一人の侍が、「その怪獣を退治する」と、言って、名乗って出たのでした。よく御話の筋にある様に、娘を入れる箱の中に入って、村人の松火に送られて、怪しげな茂みの中へ入ってゆきました。
 翌朝になって村人は、恐る恐るお山へ入って行って見ると、そこには牛のごとき怪物の死体を発見しましたが、昨夜の侍の姿はあれ以来影も形も見せませんでした。

 村人達は、お山の神様に違いないとして、道祖神を御祭りしました。

おやしろ
絵

これが北向道祖神の起源だそうです。

諸事願い事をかなえて下さるので、この道祖神を信仰する者が多く、今に至るまで香炉供物の絶えたことのない霊験あらたかな道祖神であります。
 又一説には。
 日露の戦いが、輝かしい終幕を告げた頃のことです。幾多の武勲に輝きながらこの倉賀野町に凱旋の勇士が数多く見えた。
 ところが長い野戦の疲れのためか、こうした勇士が次々に病床に伏す身となったのである。これらの郷土の勇士に、もしもの事があってはと、町の人々の心痛はまた大変なものであった。
 そこで寄り寄り相談した末,「悪病には道祖神様を御祭りするとよいそうだ。」と、言うことになって、北向道祖神の祠が建てられたのだそうである。
 そして町の人々は朝夕この神様に病気全快を祈ったのであった。不思議にも病床の勇士はめきめきと快方に向ったのである。それ以来悪病の神様、あるいは子供の好きな神様として尊信をあつめているのであると、言われている。

鳥居
古地図
現地図