十六、三光寺稲荷

稲荷
神社

その昔、三光寺様は養報寺の隠居寺でありました。
その頃は、今のお宮より、もっともっと大きな立派なお寺であったそうです。所が、夜になると白い狐が、お寺の廊下にいたり、または人を化かしたりするので、大変困りました。そこで、町の人達はどうしたらよかろうかと毎日の様に考えていました。ところがあるお百姓さんの考えでその狐をお祀りする事になりました。
 
 その頃の江戸、今の東京へ行って正一位冠稲荷と言う立派な位をいただいて来て、お宮を建ててお祀りすると、不思議にそれから白狐が出なくなったと言う事です。
 そのお宮が出来て間もない頃の事です。

絵

今の横町の辺りに清次郎さんと言う一人のお百姓さんが住んでおりました。大変心掛けのよい清次郎さんは、朝早く働きに出掛ける前に雨が降っても風が吹いても、必ず三光寺様にお参り致しました。
 ある朝早く、いつもの様に拝みに行きますと、お稲荷様の石段の所に、きれいなお星の玉が落ちていました。
清次郎さんは、「これはお稲荷様が下さったのに違いない。」と、大切に家へ持って帰りました。
 その事があってから、清次郎さんは大変なお金持ちになったと言う事です。
 しかし時の移り変わりと共に、いつしか清次郎さんのお家は、なくなってしまい、今はただその昔にこうした言い伝えがあったと言う事を残しているに過ぎません。

写真
石鳥井
冠稲荷神社(三光寺稲荷) 

延宝2年(1674年)に勧進され、宝永7年(1710年)社殿が造営された。近世には宿内の旅籠屋や飯盛女の信仰を集めた。明治42年に大国玉神社(現在の倉賀野神社)に合併となった。
その後、ある老人の夢枕に稲荷様が立ち、「帰りたい、帰りたい」というので、それが噂となり、横町で寄付を募り、昭和10年(1935年)に現在の場所に社殿が創建された。

古地図
現地図