三九、貉の清さん

今から百年も前の事だったでしょうか?

 町の南の方に大変頭の禿げたお爺さんがおりました。よく頭の禿げた人の事を子供は薬缶頭(やかんあたま)等といいますが、ちょうどこの頃は家々の燈火がランプだったので、このお爺さんの事を、ランプ頭ランプ頭と悪口を言っていたのだそうです。

ランプ

このお爺さんの本当の名前を清さんと言いましたが、
「清さん、清さん」と言うよりは、「ランプ、ランプ、ランプ清さん」という方が解りが良かったといっております。
 さてこのお爺さんは大変気だてのやさしい人だったが、時々むーッと怒ることが玉に傷でした。しかし怒ってもまた後ではさっぱりしている方でした。
従って他人から悪くいわれる様な人ではなかったが、唯一つ悪い癖がありました。それはちょいちょい夫婦喧嘩をすることでした。
 年にも似合わず、むーッとしてくると我慢出来ないたちと見えます。直ぐ大声で怒鳴り出します。お婆さんも負ず嫌いの気性を持って生まれたと見えて、一口、二口言い始めると、直ぐお爺さんのことを「ランプ、ランプ、ランプ頭めが。」と、言って怒鳴り返すのでいつも喧嘩が絶えませんでした。ランプのお爺さんは、何よりこれが一番つらかった。だからランプといわれると、もう口惜しくて口惜しくて仕方がないので、つい本気で怒ってしまいます。
 「出て行け、さあ出て行け!お前の様な者はもう家へおく事は出来ない。」と、いきり立って、遂には外へ掴み出すというのでした。
 お婆さんはお婆さんで、
 「出て行くともさ、こんなランプのところなど、誰がいてやるものか。」と、いって、ぐんぐん出掛け始めますと、近所の人が見るに見兼ねて仲裁に入るという訳です。
 こんな具合で月に一回や二回は珍しくなかったらしい。ところが決まった様に喧嘩がはじまるとこの近くに棲む狸公がやって来て戸袋に前足をかけて、戸のふし穴から中の様子を覗き込んでいたというのです。そして人が行くと前足を外して、こそこそと闇の中へ姿を消して行く事がよくあったそうです。
 別にそんな事には気を留める必要もなかったし、何とも思っていなかったランプ爺さんは、しとしとと雨の降るある夜、ほろ酔い機嫌で帰って参りました。ところが帰りが遅いとでもいうのであったろうか、お婆さんは不機嫌な顔をして、文句を並べ始めました。よい気分で帰って来たランプ清さんが座敷へ上がるか上がらぬうちに帰る早々文句を並べられたのでは面白くありません。
 そこでこれもまた一言、二言返し文句を並べましたが酒の勢いで、つい言葉も乱暴になっていたと見え、とうとう押さえ切れないであの悪い何時もの病気が出て来ました。
 おばあさんは肩を怒らし口を尖らして、「何ですって、このランプめ。」と、一言いってしまった。さあランプのお爺さん赤い上にも赤くなって怒ってしまった。とうとうお婆さんを追い出してしまいました。雨の中を生まれ故郷の中居の家へ帰って行きました。お爺さんはそのまま、床の中へ入って眠ってしまいました。
 夜中の十二時も過ぎて、もう一時も近くなったが、まだ外はしとしと雨が降っていた。ランプ爺さんが、ふと目を覚ましますと、表戸の方に
 「清さん!清さん!」と、いう声が聞こえて来ました。
 「何だろう」
 不思議に思った、ランプのお爺さんは頭を僅かに持ち上げ表戸の方へ耳をすましていますと、又、
 「清さん!清さん!入れておくれよ、いれておくれよ。」と、繰返し繰返しさもせつなそうに言っているではありませんか。
 「おやあの声は確かに先刻、出て行った筈の婆さんの声だが、今頃なんだって帰って来たんだろう。さては婆さんのやつ、やはりここが恋しくて帰ってきたのかな、こうして帰って来るところを見ると可愛想なものだ、よしよし入れてやろう。」と、言って床を立って、戸口まで行ってから、
 「婆さんかい、婆さんかい。」と、二言ばかり呼んで見たが返事がない。

絵

「可笑しいなァ。」と、思いながらそれでもと思って、もう一度、

「婆さんかい。婆さんかい!」と、やや力のこもった調子で呼んで見たが返事がない。
 
「ははあ!今度こそ本当に改心したと見え、申訳なさの為、胸がふさがっているに相違ない、どれどれ開けて入れましょう。」と、いいながら、
がらがらッと大戸をあけた。

 「おやッ!」

 何と驚いた事には、そこに立っていたのは、婆さんどころか、八尺以上もあろうかと思われる大入道であった。その大入道がかけ残った幾枚かの大きな前歯をむき出して、にやりと笑っているではないか。ランプ爺さんはびっくり仰天、「ワーッ!」大声と共に、その場にどしーんと腰を抜かしたまま立つ事が出来なくなってしまった。
 その大きな声に気付いた近所の人々が、何事が起ったのか思って、清さんの家へ、やってきました。すると、この足音に気付いたのか大入道は、いつもの、こそこそ狸になって暗に姿を消してしまいました。

尾

近所の人々は清さんの家の入口に立って、「清さん、清さん、どうしたい清さん!」と、呼びましたが、清さんは目ばかりぱちぱちしていて起き上がりません。そのうちに、ランプ爺さんは「お前さん方か、わしをだましたのは?」と、問いかけました。
 何も知る筈が無い近所の人達は、「どうしたい清さん、そんな青い顔をして。」と、また声をかけました。するとようやくの事自分にかえった清さんは、今あった一切を真剣になって語り続けました。近所の人々は、「何ですか清さん、そりゃ狸公に化かされたんだね、今庭先を丸々太った狸公が、こそこそ藪の方へ入って行ったよ、きっとそれに違いないよ。」

 始めて知った清さんは「なるほどね、そうでしたか、貉と言っても馬鹿には出来ないものですね。」と歎息したという事です。

 このお話は、倉賀野神社の東の方にあたって城址がありましたがその近くにあったお話だそうです。誰が見たのか、いつも清さんの家の所へ来ては狸が遊んでいたり、夫婦喧嘩を見たりしていたと、そしてついにはあの様な大入道に化けて清さんを驚かしたと言うので、誰いうとなく清さん貉、清さん貉という様になったといいます。

神社
屋敷
古地図
現地図