三七、下町の庚申様

五穀の神、農業の神として御庚申様を祀る風習は、昔も今も変わらないが、この御庚申様を鬼門除けにしたということは、さていつ頃からの事でしょうか。
 ここ下町の御庚申様は、その昔倉賀野城の鬼門除けに立てられたものだという、そして多くは南面しているのに、こればかりは北向きになっている。

像

五穀の神、農業の神としての御庚申様が鬼門除けに、しかも北向きに立てられてあるのは、全く珍しい事である。尚ここには庚申様と二十二夜様といって、普通二夜様という女の神様、お産の神様まで併せて祀られてあって、この神様を信仰するとお産が大変軽く済むと言うのである。多くの人はここに二十二夜様まで併せて祀られてある事には気が付かないらしい。そして御庚申様だけだと思っている者が随分多い様だ。従っていつとはなしに御庚申様、御庚申様という様になった。
 さてこの御庚申様についてであるが、今から二、三百年も昔は随分賑やかで、特に東の方、埼玉の地から大変な信仰者があったとか、その影響が明治の世にも及んで、近くは新町、本庄方面から、遠くは深谷、熊谷付近の人々までが御詣りに来たという。そして御詣りとはいうものの実はそれぞれ祈願をしたものらしいと古老の言葉である。

 いつ頃から立てられたのか、解らないが、今よりおよそ百九十年程前、即ち宝暦年間、徳川第九代将軍家重時代に、一度立て直し、その後、町の中組の庚申様として信仰を集めていたが、いつとはなしに廃れ、昭和の御世にまで持ち越されて来たのである。
畑の中に細道があった。その細道から一足入ったところに塚があった。その塚は略三角形で二坪ばかりの小さなものだった。そこへ雑草が生い茂っていたが、その雑草の中に、離れ離れになって倒れていた御庚申様をよく見かけた。この御庚申様の塚を巡って桑畑がある。
 又細道を通っている。こうした桑畑や細道から時々女子供が眼を光らせていた。
 子供達は丁度、こそ泥の様に見えては消え、消えては又姿を現していた。それが朝に於いて最も多かった。不思議な事もあるものと、そのうち一人に尋ねてみた。すると子供の一人は、「ここへお賽銭拾いに来たのだよ。」と答えるのであった。誰が始めて発見したのか、お賽銭目当ての子供たちが、いつとはなしにこの様に集まって来るのであった。
 こんな見る影もない御庚申様へ、かくも大勢の子供が集まるからには、相当の御詣人があるに相違ないが、殆どお詣りに来た人の姿を見た者がないというので、何か理由があるのだろう誰が一体お賽銭を上げているのだろう?一人位は見た者だってありそうなものに等、とりどりの噂さえ言われる様になって来た。
 ところが、ここに大変物好きな者があってそれを見届け様として忍んでいた。
 夜になった。もう九時も過ぎた頃、四十歳前後の女の方が、辺りにしきりと心を配りながらこの庚申様へ近付いて来た。
そして幾らかのお金を投げてから、しばし黙然としてそこにうずくまっていた。
 心からなる祈祷をささげてから又去って行った。その影を追う様に見送っているとこれも女の方で、今行った人と反対の方向から足音を忍ばせてここを訪れた。そして前の人と同じ様にしばらくして去って行った。
 忍んでいた人は、ようやく不思議が解けはじめた。屋敷稲荷に物をあげても、帰り途で後ろを振り向くと稲荷様は決して食べてくれないという言い伝えを思い出したり、又ある庚申様は、祈願中、その姿を見られると全然御利益がないと聞いたことなどを併せ思い出して見た。あるいはこんな事が御参りに来る人たちの耳へでも入っていたのかも知れない。この解釈は信仰者の心に全く一致していた。
 幾日か経ったある日、この人は前記の女を尋ねた。すると信仰者たる女はこういうのだった。
 「この御庚申様へお詣りする人は、私ばかりではありません。私達よりも、もっともっと不幸な人、重病患者を子に持つ親、身の不具を治そうと願かける人、また家運繁盛に等、随分大変ですが、どの方もどの方も決して願かけする人は人目につかない様にと心を配り

 「願はかけなよ 人目にゃつくな」

と、さえいわれ、人目についた時は決して御利益がないという言い伝えであったよ。」と、それで一切は解けた。

しかしその後も相変わらず祈願する者は絶えなかった。

お参り

しばらく経ってから、いよいよこの御庚申様が世に出る様な事件が起こった。否むしろ永い間の雑草の中に顧みられなかった神の祟りとでもいおうか、不思議な神力を見せたのであった。

 その頃中山道を下る一人の旅人があった。ちょうどこの地まで来た時街道筋から北へ入って休息所を探していた。ふと見ると小高い塚があって、小石が倒れている。「これはちょうど良い。」と、腰を下ろした、二、三ぷく煙草を呑んでから「どーれ、出掛けようか。」と、立ち上がろうとしたが、どうした事か腰が立たない。いくら力を入れても踏ん張ってもだめだった。

絵

「俺は気でも狂ったかなァ。」と、いいながら手や膝をつねって見たが、別に変っている様子はない。
「さあ弱った、これは困った。」と何回も何回も繰り返していたが腰の下に石が吸い付く様になって、全く施しようもなかった。旅人は困りぬいていたが、ふと腰の下を見ると、今自分が腰を掛けている石に、何か刻物がしてあるのに気が付いた。「あ!これは何かの神様に違い無い。申訳がない。」と、よく見ると御庚申様であった。
 そこで旅人は、この御庚申様に向かって一生懸命誤りました。
 すると不思議や、絶対立つ事が出来なかった旅人の腰は、何の苦もなくすっくと立つ事が出来た。旅人は大変驚いて急に細道まで跳び離れたかと思うとバッタリ、その場に座りこんでしまった。

 この驚きはやがてあらたかな御庚申様の神力に外ならない。と思う様になって、これ程の御利益ある庚申様をあのままにしておいては済まない事だ、こうして町の人々にも、このお話を告げました。
 この話を聞いた町の人達は、薄々御利益を知っていた上に、今また旅人の出来事を知って一層驚き入りました。
 「確かに御利益のある御庚申様だ、これは粗末に出来ないものだ」と、信仰者が段々に増して参りました。それからしばらくして、ここに大願成就と書かれた、赤い旗、白い旗等が幾本も幾本も立ち並ぶ様になって、遂には、この御庚申様の周りを取巻く程になった。 

 こうなって来ると、どうしてもあのままの御庚申様では済まなくなった。そこで町の心ある人々が寄り寄り相談の末、幾らかずつの寄金を基として、現在の御庚申様としたのである。と、……

写真
石碑
古地図
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