二十八、ちぢり山

まむしが人をかじると言う事は聞いていたが、まむしが寄り集まって、今度は誰が誰をかじる番であると、かじる蛇とかられる人とが定まっていたと聞いては、全く驚かざるを得ない。
 相談の結果、槍玉に上げられるものこそ、いい迷惑である。誰がその相談の様子を突き止めたのか?
まむしの血祭りに上げられる者が年に幾人もあった後の事であろう。

絵

ある夏の夕暮れ、この辺で何時も、まむしにかじられるのだと言う事を知らない筈はない農夫が、図らずもそこを通りかかって、怪我の功名とでもいおうか、まむしの相談の場所にぶつかってしまった。
所が通りかかったというのが、怪我の功名だと思われたその瞬間! 眩惑と共に奈落の底にでも放り込まれる様な衝動を受けた。
 不思議と言おうか、皮肉と言おうか、今度かみ殺される番に相談が決まったのが、何んと自分ではないか・・・・・
 彼の足は無意識に我が家に向って走ったけれども、大地を信ずる事の出来ない程の浮調子であった。彼は転ぶ様に家へ帰ったもののただおののいて、狐に摘まれた者の誰もがする無気味な手振りをするのであった。
 熱が出る。目が坐る。動悸がする。
 かくて一夜が明けた。彼は何を思ったか、黙々として木を切り、木を組み立てる。
 やがて一つの祠が出来た。彼の様子を側から見ていたとしたら、全く夢遊病者としか思えない。
 その夢遊病者の様な、彼によって作り上げられた祠は、その翌々日、甲大道南の地域に建てられた。何の為にこの祠をこの農夫が、この地に建てたかは、彼がその後、あの兇悪な、まむしの餌食にならないて済んだ事によって、御想像が願えると思う。
 この祠を人呼んで「池鯉鮒大明神」(ちりふだいみょうじん)という。
まむし避けの神として祀られたものである。
大明神の祠は、その後下町諏訪神社境内に移されたが、ついこの頃まで毎月一日に赤飯が、町の舊家の手によって供えられていたと言う事である。

鳥居
赤鳥居
古地図
現地図